インターネット上で他人を攻撃することで得られるもの

よく聞く言葉がある。
「こういう奴は馬鹿」
「こんなサービスは無くなれ」
「あれはクソゲーだ」
ネット上を跋扈する種々雑多な個人的感想だ。
なかでも例のようにネガティブで攻撃的なものはしばしば耳目を集める。
また、攻撃は反撃の応酬を呼ぶ。攻撃はチェインし、スタミナが尽きるまで継続する。

一方でこんな論説もよく見る。
「アンチの相手をするな」
「荒らしに反応する奴も荒らし」
半年ROMれ
「申あ絶N」
もっともな意見だ。無限に飛び交う攻撃をひらりとかわすヤンマーニ(死語)である。
最初に表明しておくが、私もいい大人なので専らスルーを決め込む性質だ。
戦う事、意見を通すことよりも、今夜気持ちよく眠りにつくことの方がよっぽど大切なのだ。

ところがだ。現実は攻撃的意見がそこら中にはびこっている。
攻撃し、反撃し、スルーしろと主張し……。人界は恨みを呑んだ亡者でひしめいている。
スルーするべきという論説こそが正しいなんて驕るつもりもないので、きっと攻撃する立場にもそれなりの理由があるのだろう。
これは独りよがりな想像に過ぎないが、インターネット上で攻撃的意見を発信することで得られるメリットを考察したい。
以下にいくつか、私が想像する限りの「攻撃のメリット」を列挙してみる。想像である。


メリット1.気に食わないヒト・モノをやっつけることができるかもしれない
→やっつけられない。ケーキは嘘である。

メリット2.とにかく発信することで、うっぷんを発散できる
→発散はできない。
攻撃者はうんこを吐き出した後、気付こうが気づくまいが己の口をうんこまみれにしている。

メリット3.悪口を言って反応されるのが気持ちいい
→気持ちよくない。
数あるコミュニケーションの中で最も楽しくないものが口喧嘩とピロートークである。

メリット4.悪口にかこつけて大喜利を公表できる
→できない。
大喜利とは元来、「客を喜ばせ、演者が利を得るもの」である。両方満たせない。

メリット5.文章作りのネタにできる
→できる。「twitterクソリプ送るやつの神経がわからん。ちょっとイジったろ」で既に900文字ほど稼げる。

攻撃は相応の反撃を呼び、それらは総じてイジりの対象にできる。
当事者の価値は皆無でも、現象には価値がある。
レミングの大量自殺と、それを研究する学者である。
サブプライム債務者と、彼らが巻き起こした経済現象である。
SNS社会の現代人はついつい他者を攻撃してしまう現象」である。

無暗な攻撃は攻撃者の利益にならないことを前提に置くなら、
攻撃者は自身の利益のためでなく、それどころか意思すらなく、SNS社会が巻き起こす現象の歯車となって機能しているに過ぎない。
現代人の不幸な習性と、それに素直に従う彼らはレミングの大群である。

ところで、ここまで書き連ねたものは全て参考文献なし・個人の妄想で述べたに過ぎない。
あくまで私が久しぶりに文章を書くための練習に過ぎないのだ。許してほしい。
そしてこの文章もまた攻撃に対する攻撃になっている現象の一環に過ぎない。
SNS社会の現代人の悲しいサガである。


p.s.
レミングは本当は大量自殺しない。かしこい。